昭和57年当時、京都市伏見区にある桃山高等学校定時制の生徒たちは弓道の試合に出たくても高体連に登録出来ませんでした。そこで桃山高校の弓道部の顧問であった山﨑和子先生はその事情を考慮され、桃陵会を一般団体として登録することにより、定時制高校の生徒が試合に出場でき、審査も受けることが出来るようにされました。
さらに、当時数名の会員に市民弓道教室の卒業生が加わり、少人数ながら家庭的な雰囲気の会として活動していきました。親子両師範で作られた会は「来るものは拒まず」の姿勢で、純粋に弓を引きたいという熱い気持ちがあれば誰でも受け入れました。
桃陵会の特徴としては、京都府内の試合だけにこだわらず全国に視野を広げ、地方の試合や行事にも積極的に参加することにより、弓を通じて見識を高め、人との交流を広げていきたいと考えています。
たとえば、今は無くなってしまいましたが、瀬戸内海に浮かぶ大島下島という島で長い間開催されていた「みかんの島の弓祭り」に例年参加していました。海上に浮かぶ扇の的を射抜き、大きな鯛と弓友の和をおみやげに持ち帰ったりしました。また宮崎県都城市で開催される「全国弓道大会」や、飫肥の「四半的」にも参加しました。
他に広島県福山市弓道協会主催の「射流し大会」にも参加して当時の女子最長距離を記録したり、滋賀県の大中湖で行われる「射流し大会」ではバーベキューを楽しみながら、いかに遠くに矢を飛ばすかという射流し談義に花を咲かせました。
新体制となった平成15年4月より、毎月「桃だより」という機関誌を発行しています。桃陵会の会員の活動や、弓にまつわる歴史上の人物の紹介、実際の技術面より弓道に対する考え方や、全国の先生方の書かれたことを抜粋し、若い初心者の会員たちにも分かりやすく、正しく理解できるように紹介しています。
桃陵会は教士七段の山﨑芳廣先生を中心に「楽しく、真剣に、弓を引く」を信条に、教育者であった山﨑和子先生の作られた会らしく、純粋に弓を引くことを愛する人間に成長していけるよう、努力して活動しています。